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since 2015

1995年生まれ、就活するってよ

お疲れ様です。2016年ですね。

ドナルド・トランプ氏が大統領になるそうですね、来年の就活どうなるんでしょう。

 

1995年生まれです。大学三年生。

生まれた年に阪神淡路とオウムサリン事件がありました。

小学校に入学する年に9.11があり、ゆとり教育が全面的に開始されました。

中学校に入学した年にリーマンショックが起こり、同級生の親の家が大変なことになっているのをみました。

中学校を卒業する直前に3.11があり、卒業式も入学式も短縮されました。

高校を卒業した年にゆとり教育が終わり、でもなんか大学は景気がよくなってきたみたいじゃん?って思ってたら、この有様ですよ。

 

もうめんどくさい。本当に。

 

大学に入ってから、就活期間の変更だとかなんだとかでいろいろ変わって、今はなんかインターンとかも大切らしいですね。

大学三年生の長期休暇、もしくは11月のこの時期に授業を休んで企業の仕事を体験しに行く。

なにが楽しいというのでしょうか。

私は大学で、勉強がしたかったんですよ。

わりと真面目に、勉強したいことがたくさんありました。でもコスパ悪いじゃないですか。だって、その知識を得たところで役に立たないこたが想像できるから。

なにに役に立たないかって?就職ですよ。

いい企業に入って、なるべく社会のあおりをお給料に受けないで、平穏に暮らしたい。

その願望を満たすには、多分真面目に授業を受けるより、インターンに行った方がいい。今後何十年かのために。でもそのインターンもね、なんかESとか面接とかやんなきゃいけないんですよ。どこから時間を捻出すりゃあいいんだ。

 

めんどうだなあ。本当にそう思います。

自分のことを表現してください、と言われてなにを話したらいいんでしょうか。就活のためのネタ作りをしないと入れないんでしょうか。好きなことを好きなだけして、遊んでても会社に入れた時代の人だっているのに。その人達に、今の若い子たちはゆとりはって言われるのはどうしてなんでしょうか。 

もうなんか、しらねーーーーーよ。という気持ちです。私のせいなのか?

ずーっと不景気だゆとりだと言われて生きてきて、多分いい会社に入らないとやばいということも分かった。分かったんだが、そんなに自己PRしないといれてくれんのか!?なんで!?入ったら頑張るからいれてくれ!!!

 

大学から帰ってきて、ずっと投票結果を見ていました。お疲れ様でした、笑えてきました。

 

いいことあるといいね。

どうか就活がうまくいきますように。

いろんなことがぐちゃぐちゃになったただの愚痴です。

 

 

8代目に綺麗にお別れを告げた

 

ミュージカルテニスの王子様青学vs氷帝公演、大千秋楽おめでとうございます。

同時に青学8代目のみなさん、卒業おめでとうございます。

 

 

推しの卒業というコンテンツを初めて経験したので、標本にして残す。自分のためのブログです。8代目の菊丸英二役本田礼生くんがすきです。とても長いブログ。

 

私がテニミュの本公演を初めて観たのは、2ndの全国立海です。

もともと別の畑の舞台が好きだったのがきっかけで、友人が2ndのDVDを見せてくれて、ようやく一番最後に間に合った形でした。

美しく完成された7代目の最後を見ました。

7代目がとても好きだし、私の今のテニミュ以外にいる推しも2ndキャストなのだけれど、それでも私にはなんとなく堂々と「2ndが好きだ」と言える度胸がありません。

だって私より本気で長い間たくさんたくさん応援していた人を知っているから。

だから、私はずっとテニミュには追いつけないと思っていました。

 

3rdに関しても、最初はあんまりのめり込むつもりはなくて、お披露目もプレも行ってないです。そんなスタート。初めて彼らを見たのは、一番最初のドキュメンタリーでした。

その時に一瞬映った、神里くんのなにかを吸収しようとしている顔を見て、ああこの青学にも会いたいな、楽しみだな、と思ったことを覚えています。東京公演の少し前だったと思う。

 

不動峰の東京公演。

一番最初にリョーマくんが出てくるところの音が2ndと違って、古田くんが第一声を放ったときに「あ、3rdって始まってたんだ」と思った。

これは2ndとは違うんだって。新しいなにかだって。とてもドキドキしたことを覚えています。青いライトが綺麗で、ぽかんと口を開けて観ていた気がします。

 

そして、D1の始まる前。

「滅多にノらない気分屋が本気になった」と言われて、菊丸が、本田礼生くんが、クルクルとラケットを回したときから私は彼から目が離せなくなりました。

私はあんまり初期のゴールデンを知らなくて、元気で笑顔で可愛い菊丸!と思っていた菊丸が、一つも笑わないで確かめるみたいにクルクルとラケットを回していた姿が、あんまりにもかっこよかった。

公演が終わったあと、友達に「菊丸に落ちました」と水道橋のマックで話したことをよく覚えています。

 

それから確か凱旋のチケットを増やして、千秋楽のチケットも取って、何回も何回もそのシーンをオペラで観て、それ以外も菊丸定点をよくするようになって。毎回違うベンチワークもコロコロ変わる表情も重力なんてないみたいなアクロバットも上手なダンスも、全部好きになって。

 

不動峰の千秋楽は、古田くんが大泣きしていたことが印象的で、立ち見まででていたことも印象的だった。

 

頭の回転が早くて、機転が効いて、重力を感じさせないアクロバット、上手なダンス、毎回違うベンチワーク。どれも何回もチケットを買う理由で、菊丸から目が離せない理由でした。

TEAMLIVEもとても楽しかった。

 

ルドルフ戦は、ゴールデン見せ場がたくさんあるし、好きなシーンは数え切れないのだけど、見つけたときに一番ドキッとしたのは、菊丸が復活する直前に一度、小指からラケットを握り直す手。これもとてもかっこよくて、未だによく覚えています。

ルドルフ戦、菊丸のしんどい顔も辛そうな目もたくさん観ていて、よく覚えているし、8代目菊丸の中で一番好きな試合だった。物語としてとても好き。

 

山吹戦は、ベンチワークたくさんありがとう感謝って感じでした。入ってたときは、「これが終わると勝ち試合が立海までない…」とよく言っていた気がします。このころは、関東立海までは8代目がやってくれるんじゃないかなあとなんとなく思っていました。

 

DREAMLIVE、チャージアップでポップアップから飛んだときにあまりにも幸せすぎてちょっと呆然とした気がする。あれほんとにかっこよかった。ちょっとずるいくらいかっこよかった。

 

そして氷帝戦。

私は関東氷帝がとても好きでこの公演が8代目で観れるのがとてもとても楽しみで、ただ発表と同時に卒業を突きつけられました。

学ラン姿のみんなはかっこよかったし、あのキービジュアルは最高だと思っているけれど、卒業の二文字が漠然としすぎてて正直全然実感がなかった気がする。

 

東京公演が始まっても、別に卒業とかあんまり意識していなくて、大好きな「夢を繋げ」と「三人でダブルス」を歌ってくれた!!!と喜んで。先輩やってる菊丸もかっこいーと思って、氷帝かっこいいー!と思って。

 

東京楽ですよ。

シャカリキ待ちで手拍子をしていたのに、知らないイントロが流れて知らない衣装の青学が出てきて0番にピンスポが当たって、「お別れだね」って、言うから。泣きながら言うから。

ゴールデンが「君がいない日々が当たり前になることなんてあるのかな」って、言ったから。

私舞台観ながらこんなに泣けんの…と思うくらい泣いて、泣きながら、そうか卒業するのか、と思った。

そのあとのシャカブンで「テニスしようよ」って言われて「テニスしなくなるから泣いてんだわ」と思った記憶があります。

8代目の卒業を意識したのはそのくらいから。

 

氷帝のM1は「ALL FOR TENNIS」「すべてはテニスのために」「俺の生き様」「全国大会には行けない」「そんなのは嫌だ」と歌うのを聞いて、うっ、と思っていました。刺さるM1。青学8代目は本当にいいM1がたくさんありますね。

このフリで、菊丸が最後のALL FOR ALL FOR TENNIS のとこでグッと青学の文字のところをつかんで顔を下に向けて歌うところがとても好きでした。込めて歌ってることがわかったから。「すべてはテニスのために」走ってきたことを知っていたから。

 

凱旋が始まって、ぐんぐん卒業ムードが濃くなって、初日と金曜に入って、大楽はライブビューイングでみよう、その前に当日券で運だめしをしよう、と思って入れるはずないと思って並んで、そしたら、当選番号に自分の番号があって。震える手でチケット引き換えたらアリーナの二列の見切れで。なんかほんと、神様ありがとうという感じだった。

正直始まる前から泣いちゃいそうで、友人に「もう無理です」とラインしたら「青バラまで泣くな!涙で見えなかったらもったいない!」という返事が返ってきて。アリーナ二列でハンカチを握り締めながら、泣きそうになりながら始まるまでずっとなにも考えられなかった。

 

前アナが始まって、円陣の声が聞こえた時点で既にいっぱいいっぱいで。キュッパコンって音が聞こえて、ブワッと緞帳が揺れて。でも最初は山吹だから、ちょっと楽になれて。千石くん今日ちょう気合入ってて最高だな、と思って。

でもM1がさ。

リョーマくんが出てきて、不動峰の一番最初みたいだなって思うのは友達の影響なんだけど、やっぱり今日はみんな気合い入ってて。

前述した好きなフリのところを絶対にみようと思って構えてたら、いつも顔を上げるところで今日はもっと強くジャージを握って、深く沈んで、張り裂けそうに「全てはテニスのために」って歌うから、涙腺は決壊しました。

 

あと今日は、客席に背を向けて試合をしてるキャストの顔も見える席だったから、D2中の菊丸の目を見ることができて。ルドルフ戦のときと同じ目だったんですよ。だからモモの背中を叩いて大石の言葉を思い出すんだ。「同じ夢を」見てきたから。最高。ということに気がつけました。感謝。

 

夢を繋げの大石もとてもよかったし、三人でダブルスもちょうよかったし、今日のジローソロ曲は千秋楽出血大サービスだったし、田中くんの乾が手塚に負けた瞬間の顔があまりにもよかったし、私がはじめて「3rd観たいな」と思ったときの顔を思い出させる不二先輩もいたし、海堂のダブルス曲の「あなたと」の言い方本当に最高だったし、タカさんの試合中の顔すごいよかったし、トリオの表情もめちゃくちゃよかったし、氷帝も山吹もめちゃくちゃ気合い入ってるし、手塚は本当に死闘するし、リョーマくんはベストテンションだった。

全部本当にびっくりするくらい綺麗でかっこよくて、はじめて彼らを観たときに感じた興奮みたいなよくわからない感情と同じ気持ちになった。

 

8代目、本当に綺麗だった。

 

大千秋楽は卒業式。

卒業式は綺麗にお別れをするための儀式だと思っていました。さよならを言って、みんなが次に向かうための。それは間違いじゃなかったと思う。

 

不動峰の千秋楽で号泣して喋れなくなった座長はやっぱり泣いたけど「楽しかったーーー!!!」と笑っていました。

なにより菊丸が、本田くんが「カンペキパーペキパーフェクト!」と笑ってくれた。

8代目とは、笑顔でお別れできました。

 

この話の先にあるものを、彼らで見たかったと思うところもたくさんあるけど、彼らがこんなにキラキラにみせたのも卒業だって知ってるから、そして彼らに対して「悔しい」とか「もっとできたじゃん」とかいう感情が一切なくて、やりきってくれてありがとうと思っているから、当日券が当たった瞬間に「8代目と心中する」と思った感情は捨てて、しょげてないでテニスをします。

 

8代目に大好きだったよ、これからも大好きだよってお別れを綺麗に言えて成仏したので、9代目とも笑って挨拶が出来たらいいな。

12月も楽しみだよ。そして、ようやく私はテニミュに追いつくことができました。胸を張って「3rdが好きだ」と言える気がする。

 

彼らが描いた夢を、9代目10代目が繋いでくれることだけを願っています。

 

ありがとう8代目。バイバイ

 

 

 

 

ドルメンXがすごい

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4091874967?fp=1&pc_redir=T1

ドルメンXが、すごい。

ほんとにすごいんですよ。

とにかく読んでほしいので、とりあえずブログを書きます。

 

アイドルになったら、地球侵略できんじゃね?イケメン男子4人+オタ女子が本気で挑むトップアイドルへの道!

(ヒバナ『ドルメンX』作品紹介ページより)

 

あらすじわけわかんない…って感じだけど、それは別によくて、というか一話を読めば「わかる」のでいいです。宇宙人の四人が地球侵略の手段としてトップアイドルを目指すよ!という話です。

 

私は、テニミュが好きです。

ドルメンXでも、とても重要となる劇中劇に「リキミュ(ミュージカル力士の貴公子)」というのがあり、これはあの世界のテニミュなんですけれど、読みながら「あーーーわかる!!!」っていうところと「わかるwww」っていうところと「わかる………」っていうところがリキミュ関係にめちゃくちゃ多いのでその話をしていきます。ネタバレもあるので、気をつけてください。

 

一話は、適当やってた彼らが「アイドルになる」と本気で思うようになるところまで。

とりあえずどんなもんかってことで、リキミュのアドレナライブにみんなで行くのですけど、テニミュ2014がモチーフなのがわかる。七代目は卒業したし、そのパンフレットあれでしょキャラとキャストが並んで写ってるやつでしょ…、という小ネタがたくさんある。小さく書かれてるパンフのデザインが2014のパンフとそっくりなところが本当に面白くて、そういう細かいところが似てるからとても想像しやすい。

あの世界はあの世界があって、彼らと私は見てるものが違うけど、概念的にその場所知ってる、と思える。だから、あそこでなにを受け取ってしまってこう言ったかがとてもわかる。

 

「リキミュ」って名前がすごいと思うんですよ。一話で出てきたときに「力士てw」と必ず思うというか、そこになんの面白みも感じずに進めないと思っていて。でも、その面白みって「w」なんですよね。「相撲やんの?ミュージカルで?マジか〜wやべ〜www」みたいな。この感じを知ってるなと思ったんです。これ、多分、テニミュを一番最初に知った時の感覚だな、と。 テニミュが好きな人でも、なにも知らない人でも、 ベースを一度同じにすること。そこから丁寧に、彼らを応援する構成になることが本当にすごいことだと思います。のめり込んでいく感覚を、全員に渡してくれる。そして多分、それが丁寧でないと面白くならない。

 

彼らは一話で、アイドルになる決心をしたので、そうなる過程でリキミュのオーディションを受けて、努力をして、結果がでて、初舞台に挑みます。

 

三集の12話、「信じれば絶対」が本当に良すぎる。

リキミュの本公演初日の話です。

テニミュを好きな人がよく使う?褒め言葉で、「キャラとキャストの二重写し」というワードがあります。

それです。

それの話です。

彼らは「彼らにしか」できないキャラをやっていて、それはもちろん見た目もそうだし、多分中身もそうで。

テニミュも部長を務めるキャストが、稽古とかでもチームのまとめ役をやったりしますが、リキミュもそうで。

彼らが初日の幕が開ける前に作ってきた関係がキャラと同化して熱を持った台詞になる。

「返ってこないやつも、いるんだよ」というセリフがあります。ここのコマが本当に最高。

キャラでありキャストであるということを、彼らの目で語らせることを考えたの本当に天才だなぁ、と思いました。

キャラだから言えることがたくさんあって、あれはキャストのままではきっと言えなかったことで、でもその感情があったから彼がミッカ様なのだろうなあ。

 

思ったよりも宣伝というより、感想になってしまってあれなのですが、長くなりましたのでそろそろ終わりにします。

 

今日中だと、無料で2集まで読めるので是非!

https://comic.pixiv.net/works/2340

 

 

 

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SOLLADOカメラについて


終わってからまとめようまとめようと思ってたら、ずいぶん時間が経ってしまったけど、今でも考えるので自分のためにまとめます。

園井が最後にカメラを取って「全部撮影してたよ」というのを示す、あのカメラについて。いろいろ思ったけど、いかんせんこれふわっとした考察なので話半分で読んで下さい。

前提として私は、大学でドキュメンタリーをメインに映像の勉強をしています。というとなんか素敵っぽいですけど、具体的に言えば半期に1本取材に行って撮影して編集して、という作業をするゼミに入っているだけです。加えて2コマくらい授業で報道番組とかドラマとかの研究をぼやっとしています。まあけど、それでも一応映像の勉強をしています。

それで、SOLLADOを見たときにどうしてもカメラに引っかかってそのままいろいろと考えました。

カメラを設置した、ということは、誰かに見せる気があるということです。視聴者がいる。園井は視聴者になにを見せたかったから、カメラを仕掛けたのでしょうか。

あのカメラに撮影された映像を見たときに、視聴者はどのような感覚になるかなぁ、というのは結構わかりやすいな、と思います。園井が出したあの一つのカメラだけに関して言えば。

ロールプレイングが行われている間、あのカメラは動かされることなくあの食器棚に置いてありました。同じ場所を同じ角度で写し続けています。定点カメラ。この映像を見たときにまず連想するのは、監視カメラじゃないでしょうか。そして、監視カメラの映像を見ると結構無意識的に「手が加えられてない」「信頼出来る」「証拠になる」というのが視聴者の意識の根底に浮かぶかな、と。
要するに「ここに映ってることは、全て真実です」という印象をつけるにはバッチリです。

テレビ番組の内容は、大きく二つに分類できると思っています。
ドラマとかバラエティとか、演出や台本があって撮影者の意識が入ることを前提に、「本当のことじゃない」可能性を全員が周知してるものと、ニュースやドキュメンタリーみたいに演出も台本もあるのに撮影者の意識は入らず、「中立の立場で嘘をつかない」とみんながなんとなく信じているもの。

あのカメラの映像は後者です。

だけど、あのカメラすごい勢いで中立じゃないじゃないですか。

私はあんまり空間把握能力が高くないのであれですが、空間把握能力の高い友人が、奥の部屋とトイレと玄関前と下手のテーブルの前と…ってたくさん死角があることを教えてくれて。
あの部屋確かにめちゃくちゃ死角が多い。そして死角が多くなるようにカメラを置いたのは園井です。カメラを置くという、撮影すら始まってないこのスタートから主観が入ってる。
定点カメラにしたのも、意図してると思います。だって彼は心理学の先生で、その映像を見た人がどう思うかくらい想像がつくはずだから。

ドキュメンタリーは嘘をつく」という森達也という監督の作品があります。SOLLADOを見たときに近いな?と思いました。出てくる人が全員演技をしているドキュメンタリーで、最後にネタバラシがあるんですけど、やっぱり見てると「これは本当のことだ」って思うんですよね。あの映像を見た人も同じことを思うんじゃないかなあ。

記録映像としてざっくり撮るというのはわかるし、それが多分正解かもしれないですけど、記録映像ならもっとたくさんカメラがあった方がいいデータになると思います。死角なんてなるべく少ない方がいいし、あそこ以外にもたくさんカメラを隠す場所がある。

でもフォロワーさんに、「あの部屋にカメラはあれだけ?」と聞かれて、「はい」と言いました。

私が園井の立場であの部屋をくまなく撮影しようと思ったら、固定カメラ3台とマイクをテーブルと自分につけて、ウェアラブルカメラという小型マイクを自分か伊木につけておくかな、と思います。素人のざっくりした感覚として。そうしないと部屋全体は写せない。

園井が提示しなかっただけで、もしかしたらまだたくさんカメラが隠されてるかもしれないし、多分それは自分の考察にあってる説を取るのが楽しみ方として正解だと思っています。
なのでここからはただの私の考察です。

あの固定カメラ一つだけで、抑えたい場面は全て抑えられています。イマジナリーフレンドと話す場面も首を絞められる場面もお父さんを召喚する場面も。
ドキュメンタリーをとしてあれが出てきたら、あまりにも決定的な場面を捉えすぎている。し、そうするには「仕掛けがないと無理」。
でも、あれがドラマとして提示されれば、それは演出上可能です。「イブのために」のような、フェイクドキュメンタリードラマみたいに成り立つはずです。

私が園井と世名貫は共犯だと考えている話は、前回のエントリーの通りです。
心神喪失って裁判で決めるそうですね。監視カメラって、れっきとした証拠になるだろうな。 


以上です、お付き合いありがとうございました。


SOLLADO考察レポート

SOLLADO千秋楽おめでとうございました。今年も楽しいクリスマをありがとうございました、ハッピーホリデー。ネタバレ・考察解禁なので、一緒に見た友人と考察したことをまとめていきます。

加えて最初に。これは保木本さんにすでに「考えすぎ」と言われている考察なので、私たちにはこういう見方も出来たよ、というふわっとしたものをお届けします。解のうちの一つではありますが、正解というわけではありません。このスタンスで面白がっていただければ幸いです。

脚注が答え合わせですが、一度脚注無しで読んでから脚注を読んだ方が伝わりやすいかな、と思います。

 

※昨年の舞台「ニューヨークで猫を殺す方法」が前科にある保木本さんを意識して読み解いた考察です。そういう文脈で読み取っています。サブリミナルホッキー!※

 

あらすじ

「僕には昔から、見えていた」と、取り調べ室*1 ”で世名貫智志はそう語った。

神出留与のストーカー及び殺害容疑で逮捕された世名貫が、統合失調症による“心神喪失*2”であるということを、心理学の先生である園井耕太郎がある仕掛けをしたロールプレイング実験を撮影することによって立証しようとしている。

智志と留与の中学の同級生でもある警察官伊木輝立ち合いのもと、心理的瑕疵物件の一室で“芝居*3”が始まる。

 

SOLLADO登場人物

世名貫智志

神出留与ストーカー及び殺害事件の犯人。被愛妄想。幽霊が見えるという自己認識により、“イマジナリーフレンド*4 ”を創出する。”中学二年生のころ*5” 母親が殺されたことにより、自分に都合の良い架空の人物を作りだすようになった。このことでいじめられた経験がある。「死」の概念を脳内から消すために、「し」という音すらも認識できなくなる。

園井耕太郎

大学院を”中退後、心理学の先生*6”になる。大学では、”成績優秀*7”であり院の研究室に所属していた。智志の“友人*8”。特別奨励金を受けており、金にゆとりがある。部屋をセットし、この計画を立てた張本人。

伊木輝

智志の“中学の友人*9”。現在は警察官であり、神出の事件を担当している。智志の現状を見極めるため、ロールプレイングに参加。智志のことを唯一、「さとちん」と呼ぶ。芝居がうまい。

神出留与

智志の被愛妄想によるストーカー被害により死亡。/智志のイマジナリーフレンド 。中学から仲の良い友人、もしくは”恋人*10”。

内藤優

マンションを管理している不動産会社職員。園井により金で買収される。芝居が下手。

花村卓也

マンションの内見に来た部外者の劇団員。園井に金で買収される。幽霊が見える。

山下霊雲水

霊媒師役の正体不明の人物。園井の関係者?芝居が下手。智志の「し」の認識のための装置。

高木大樹

”いじめっこという概念”*11

世名貫清明

智志の父親。交通事故により死亡/智志のイマジナリーフレンド

白女

地縛霊:“霊としてのアイデンティティを持つイマジナリーフレンド*12”「留与がストーカーにより殺された」という事実を消すための芝居のための装置/お母さん+その他霊:智志のイマジナリーフレンド


 背景

「患者の妄想を否定してはいけません」。園井は智志を肯定し続けている。

「留与は中学の同級生で」「鍵をくれた」「最近ストーカー被害にあってるらしくて」「留与、おっちょこちょいだから洗い物とか忘れて出かけたりして」「この前も雨の日に洗濯物干しっぱなしで」園井は智志を否定しない。「園井、留与は俺がストーカーだって言うんだ」なあ、留与はそんなこと言わないはずだろ。「そうだな」どうしよう園井。「大丈夫だ、俺に任せろ」。そうして大学院を辞め、園井は学生ではなく、先生になった。共犯者という“都合の良い*13”人間になるために。


園井耕太郎の計画

①“心神喪失”であるということを立証するために、ロールプレイングを行い、それを撮影。ロールプレイングの内容は、「ストーカー被害にあっている神出留与が、もうすでに死んでおり現実には存在しないということを世名貫智志に認識させて、どのような結果が出るか」というもの。伊木を参加させることにより、警察内部に目撃者及び証言者を作る。

→“結果は全員に「神出留与の存在」を否定されたにも関わらず、世名貫智志は”神出留与の存在を認識し続けて*14”おり、”症状は思ったよりも進行していた*15 ”

*登場人物

世名貫:白女がストーカーの犯人であるというストーリーを作り出し、留与のストーカー被害と死んだことをなかったことにしている/園井:統合失調症やストーカー心理に詳しい迷惑行為を専門に扱う男。もともとは大学院で心理学の研究をしており成績も優秀であったが”なぜか辞めた*16” /山下:胡散臭い霊媒師/内藤:怖がりな不動産屋 白女:部屋に住み着く地縛霊。神出に悪戯をしている/神出:智志と親しい人物

→カメラが回っていることを常に意識し、台本外の事態にも迅速に対応する。

②①と同時進行で、智志のため、また自分のために“神出留与の葬式*17 ”を行っている。伊木の「死んだよ」の一言によって、”留与は消える*18”。

→留与から解放されるために行われ、留与を消すことが今後の”二人の生活”がはじまる*19”。

 

枠組み

留与から相談を受けた世名貫に、”留与の部屋に呼ばれた園井*20

→幽霊がいる、幽霊の仕業だったという世名貫

→不動産屋の内藤がやってきて、”心理的瑕疵物件で”あることが明るみに出る

→幽霊を除霊するためにあらわれる山下霊雲水

→阿部晴明の生まれ変わりだと言われ除霊に力を貸すも、霊は消えない

→心理的瑕疵物件の内見に来た”「霊が見える」花村 ”

→一緒に除霊をするが二体に増える。増えたうちの一人が中学の同級生伊木

→父親が現れてみんなで除霊をする

→「伊木による」ネタばらしにより、世名貫は倒れ奥の部屋へ退場

→内藤、花村が退場。園井による伊木、”山下”への症状の説明

→カメラを止める

→部屋に帰ってくる世名貫が伊木と話す留与が消えていないことを悟り、腰を抜かして逃げ出す伊木

 

「童謡のような男だよ、お前は」

世名貫が最後に歌う鼻歌は、 「Comin' Thro' the Ray*21ライ麦畑で出会うとき。「ライ麦畑でつかまえて」のタイトルの由来になっている曲。「ヨナ抜き」音階とされており、「シ」の音が使われていない。


ドレミファソラッド。以上が我々のみたSOLLADOでした。次のエントリーで歌詞とカメラの話ができればいいなと思っております。読んでいただきありがとうございました。





 


*1:世名貫が着ているボーダーの服=囚人服。こちら側に語りかけてくるモノローグ=誰かに話している、語っている内容→部屋以外のセット(「回想」が行われる場所)は「取り調べ室」「法廷」「監獄」と読むことができる

*2:罪に問われない

*3:カメラに映る人物は「全員」芝居をしている→カメラの死角(下手テーブル付近、玄関前、奥の部屋)があることを知っている園井→死角で、金を渡し、内緒話を行い、演技が下手なことにイラついた表情をし、微笑ましい顔で世名貫を見る。世名貫→死角を意識し、決定的なことを全て一番よく映る位置(ローテーブル付近)で行う(留与との会話、首を締められるなど) 

伊木との最後の会話は、心神喪失を装う上で必要だった素材であり、伊木がどんな反応をしようと世名貫は留与と話す台本だった。「なあ、留与」→その後、他人の目がなくなった上での「クリーニング済み」「水道が出ない」「椅子の上の空気を触る」は世名貫自身のための行動

*4:イマジナリーフレンドがすべて「幽霊である」ということではない

*5:この頃を知っている伊木が事件の担当であることを知り、園井はこの方法で心神喪失であることを納得させることにした

*6:研修室の学生の名前では、証拠にならないため

*7:そのためこの計画をたてることができた

*8:という設定

*9:智志の異常さを知っており、またどうしてそうなったかも知っている。その知っていることには同情の余地がある

*10:「お前の爪が綺麗だって話?」

*11:「本当に殺しちゃえばいいじゃん」、殺してる描写→世名貫は自分の都合の悪い人間は殺していい、消していいと考えている

*12:という設定

*13:智志の特別になりたい園井(智志にとって一番都合の良い人間にならなければ、必要とされない≒実在するイマジナリーフレンドになる必要がある)

・地元トークでつまらなさそうにしている園井→留与と世名貫にしかわからない世界の話は面白くない

・留与と自己紹介をしたくない→上記と同様

・「お前の爪が綺麗って話」

・「さっきまでお前のここにいたぞ」

・「おんびろん!」をやっている智志を見る表情→笑っています

・「病院いくか?」の声→ここだけ声色が違う

・最後の笑い→園井が堪えきれず先に笑い出す、つられて何回も笑う

*14:という台本

*15:智志の症状のダメ押しをらするために、伊木(と山下→山下は台本を読んでいるだけの可能性あり)に症状の説明を畳み掛けるようにする

*16:「人生なめてる!」など、恋人(もしくはそれに近い存在である)ということをカメラの前で隠すための台本、設定

*17:

  1. モノクロの遺影
  2. 白と黒しかない部屋
  3. 「次に会うときは誰かの葬儀」
智志は留与の葬式にでていない

*18:そのための儀式

*19:ラストの高笑いで先に笑いだすのは園井。泣きそうな声の智志は①幸せ過ぎて泣いている②もう二度と留与に会えなくて泣いている

*20:

  1. “恋人”の家の鍵を持っていることはおかしくないため、智志が合鍵で開けた
  2. カメラをセットする前に、園井が不動産屋に借りたカギで開けて最初から二人がその部屋にいた

    *21:歌詞解釈次のエントリでしたいです

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70年前のわたし

 
七夕の日に東京芸術劇場で、マームとジプシーの「cocoon」を観た。久しぶりに観たものを一週間くらいぐるぐると考える経験をしたから、人に見せられるものにも残しておこうと思う。すごく長くなったし、完全に感情論だけど。ほぼほぼネタバレですので、ご注意を。
 
 
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cocoon」は、今日マチ子さんの原作をマームとジプシーが舞台にしたもので、初演は2013年。私は去年の、たぶん今くらいに原作の漫画と初演の記録本(cocoon on stage)を読んだ。そのあと散々感想を漁ったりして、どうやら大変な舞台だったらしいことを知った。その時点では、再演は決まってなかったから、レディレディを見逃したときと同じ感じだったのだけれど。なので、再演の発表が出たときは、やたら嬉しかった。
 
あらすじだけなら、女子校に通う生徒が看護隊として戦争に動員されて、巻き込まれて死んでいくっていう、誰でも知ってる「ひめゆり」の歴史。ただ、お話の中で一回も「70年前」の「第二次世界大戦中」の「ひめゆり学徒隊」なんて単語は出てこない。加えて何回も「いまは」「ここは」「どこだろう」と繰り返される手法。ありきたりな曖昧加減だと思うのだけど、まんまとやられてしまうくらいには、観ていて同調した。共感とかを超えて、なんかもう同調だった。
 
全然お話とは関係ないんだけど、私はこの日の午前中に母校にちょっとお邪魔していて。ちょっと感傷に浸ったりして、女子校楽しかったなあ、とぼんやり最近の大学であった嫌なことを全部共学のせいにしながら芸劇に行ったのだけど、これがいけなかったな、と今になって思う。舞台に自分を重ねてしまう要素がこの日の私にはいつもより多かった。
 
舞台構成的に、学校生活→看護隊としてガマへ→看護隊が解散になって海へ走るという三部から成る。この学校のパートにどれだけ入り込めるかが舞台にのめりこめる鍵なのかなと思う。女子校のあの感じに。あの長い廊下に。廊下ですれ違った相手がほとんど知り合いで、仲のいい友達にあったらワアワアはしゃいでみて、喧嘩も廊下で起こるし、窓の外は晴れだ。体育ではエースにキャアキャアしたいし、とりとめのない話で休み時間は潰したい、もしくは放課後もぎりぎりまで話したい。誰かが歌い出したら合唱するし、掃除当番サボったって別にそのくらい怒られることじゃなくない?って思う。今度おいしいもの食べにいこうよ。先生こんにちは。女の子しかいない、あのある意味で平和で綺麗で脆い空間の、うるささと礼儀正しさの混在してる感じ。本当に忠実でこれほんとに男の人演出家なの?女子校出身者じゃないのマジ?と思ってしまった。
 
その中に生きている生徒の名前、ちょっとした性格がわかるようなエピソードがこの学校パートで紹介される。結構しっかり、その子のキーワードになる言葉が繰り返されるから、いやでも覚えてしまう。名前をつける行為。特にああ、このエピソード好きだな、と思ったのが主人公が幼馴染に「えっちゃんさ、わたしが女の子好きかもって言ったときに一緒に泣いてくれたじゃん?」「あれは切なかったね」「でもさ、まだわかんないよ。だってわたし、男の人のこと知らないもん」ってところ。この憧れと好意がないまぜになった感情と、男の人って存在してるんだけどいないみたいなそういう気持ち、わかるなあ。加えて、えっちゃんは「一緒に泣いてくれた」のだ。気持ち悪いと言うわけでも、それは間違ってるよと否定するわけでもなく。この相手を否定しない、という感覚ってとても女子高独特だな、と私は思っている。女の子の相談は意見じゃなくて共感がほしいだけ、っていう言葉がよくあるけど、そういうのじゃなくて、「相手のことを否定しない」というもっとシンプルな感じ。誰を好きでもなにが好きでも、私はあなたのことが好きだよって言ってくれる世界。
 
バタバタと廊下を走っていく光景も何回か繰り返されるのだけど、「廊下走らない!」って注意が飛んでくるようなキャアキャアした楽しさから走ってた数回を終えて、最後の一回は空襲を知らせるために走る。今まで笑って走ってた子が、廊下でキャアキャア話してた子たちに「空襲が来るって、早くガマに」って真剣に伝える行為だけで結構緊張する。この空襲から空気が少しずつ変わっていく。「去年は体育もあったのにな」っていうセリフもあって、一年後には音楽も体育もなくなって、学生たちも戦争に参加することになる。「お国のために」って言葉を信じることが正解だったこと、そこに疑問をもったら生きられなかったこと、そういう感じのことが言葉の端々にあった。看護隊として、ガマに行ってからもだれもやりたくないとかそういう言葉を言わないあたりとか。
 
動員されたあとの、ガマのパートはほんとにずっと怖くて、頭の片隅でずっと途中退場するときに一番邪魔にならないルートを考えてた。舞台の照明も暗くなって、声にエコーがかかる。舞台上がというより、シアターイースト全体がガマの中という感覚。もともと洞窟とか暗い場所が得意ではないのも合間って、口を押さえながら見る感じだった。(そういえば、このシーンになる前、主人公のサンと幼なじみのえっちゃんが空襲で焼けた街を走り抜けるシーンがあるのだけど、あそこのシーンの煙に匂いはあったのでしょうか。いや、あったのだと思うけど。とても追体験をした気分だった)
 
たまきさん、というかわいいことが好きな子がいて。ガマでも鏡をみてるような、絵の上手い友達にデートに行くときの服を書いてもらうような、そういう子で。ああ、こういう子いたよね、って思い当たる感じの、まあ教室にいたら仲良くならないな、って感じのそういう子なんだけれど、彼女が一番最初に殺されてしまうのね。ガマの入り口で受付をしてたのだけど、爆撃にあって死んでしまう。彼女は唯一といってもいいくらい戦争が終わったあとのことを話す子(「私が将来デートに行くときの服書いて」とか)だったから、こうなんかやりきれない気持ちに今はなるんだけど、ここの演出ほんと怖かったからもう見てるときはそれどころじゃなかった。暗い会場に、いきなり大きな音と舞台の下からの強い光とサンの状況説明する声が音に負けないように大きく響いて、でもあっけなく彼女は死んでしまう。音の覚えはあるんだけど、観たものがぼやけてるから目をそらしてたのかもしれない。これが続くようならもうだめだ、観れない、そうだったらさっき考えてたルートで出よう、と思ったのだけど、あそこまで大きく演出したのはここだけだった。「誰かが死ぬことに慣れてしまった」みたいな台詞があるけど、このたまきさんのシーンはまだだれも死ぬことに慣れてなかったから、大袈裟に演出して、みんなが感じた恐怖とか衝撃とかそういうものを体感させたのかなと思う。
 
もう一つ、ガマのシーンで絶望的なのは、解散命令を言い渡されるシーンかな、と。外は前線で、今よりずっと死の危険が迫るわけだけど、ガマを明け渡さなきゃならないから、「明日の朝各自でグループを組んで、南の海まで走りなさい」という先生の言葉に従わない選択肢はないわけで。南の海に辿り着いたところで生きられる保証はないんだけど、そこをゴールに設定して、そこに行けば大丈夫というないような希望を信じるしかないこの感じ。夜通し、学校で歌ってた歌を歌うのだけど、この歌もほんとあまりにマッチしすぎててですね。
 
このまま行きなさい 懐かしいあの海へ ずっとずっと先のこと願いながら行きなさい このままひとりで
このまま行きなさい 新しい彼の地へ ずっとずっと昔のこと思い出しながら行きなさい このままみんなで

 

海にはひとりで行くしかない。新しい場所へは昔のことを思い出しながらみんなで。あべこべだなあ。いっせーのせ、という合いの手を曲の合間にいれるのだけど、この「いっせーのせ」って自決のときも言ってるから考えてしまうよね。

解散になって、外に出てからの混沌具合もなかなかに怖い。何回も何回も同じ場面を繰り返すリフレインがマームとジプシーの演出方法なのだけど、各班散り散りになって走り出すときの赤い照明と叫び声が酔いそうなくらい残る。あと、各班、前半の学校での仲良しグループと一緒だからなおさら、「誰かが倒れても置いて行きなさい」という言葉が辛い。

順番としては4人目の、えっちゃんが死ぬシーンで一番泣いた。足を撃たれたえっちゃんは、友達におんぶしてもらってるんだけどその騎馬戦みたいな陣営がつまづいて転んでしまう、そのまま「もう頑張れない」と言って死んでしまうのだけど。ここもリフレインで、学校の、平和だったときの学校のくだらない会話をやる。「あんみつ食べにいこうよ」「ねえ、あれなにかなぁ」なんて、ずっと昔の話みたいなことを繰り返して、そのときは「変だよ」って切り捨てた「体が動かなくなることが怖い」っていう台詞がここで変なことではなくなる。学校の校庭でけんけんぱをするえっちゃんを上から見てるサンのシーン、「またやってるよ、えっちゃんってさそういうところあるよね」って大好きを込めた呆れた顔で、学校パートのときはやってたのに、このリフレインでは泣きながら言ってて、つられてめちゃくちゃ泣いてしまった。可哀想とかそういうのじゃなくて、えっちゃんが死ぬのが悲しいというある意味でとても普通の見方をした。このシーンは、学校のリフレインもかなり多いし、サンの独白もあるし、「一番近い友達が死んだ」ことを丁寧に書いてて、でもそれもたまきさんのときみたいな衝撃には慣れてしまってるからないのだけど、ひたすらに悲しくかいてあっていいなと思った。だって悲しいじゃん。戦争で死んだ友達にもそりゃ悲しみの重さに大小あるよなあ、と思わされた。

もうほとんど最後で、サンたちと他の班の生き残った子たちが再会するんだけど、その他の班の子たちは「自決しよう」と持ちかける。その子たちの班では、しょうこちゃんという子が彼女たちのしんがりを務めて死んでしまったのだけど、自決の相談のときにひとりが「だってさ、しょうこちゃんも死んじゃったんだよ」となんの理由にもなってないことを言う。これって理由にはなってないんだけど、とてもとても気持ち的にはわかる。この時点では、もう南の海に行っても仕方ないって感じもあって、逃げ場もなくて、捕虜になるくらいなら今きれいなまま死んだ方がいい、だってしょうこちゃんも死んじゃったし、って理由じゃないけど、なんかこう後押しになってしまう感じ。国もいざってときは自決しなさい、と教えてて、最善の選択なわけないんだけど、最善の選択に見えてしまう精神状況。結局サンたちは断って、また走り出すんだけど。あのことがなかったらサンはもしかしたら誘いを断らなかったんじゃないかなあ。

ラストは、サンともうひとりマユ(サンの憧れというか好きな人というか一番の親友というかそういうごちゃまぜの感情を向けられた学校の憧れの的だった子)で、南の海までの一本道を走って行くのだけど、ここのリフレインがとてもとても青春を感じた。好きな人と手をつなげること、自分のことを見ててくれること、戦争とかそういうことがここのシーンだけなかったみたいな、そういう感じ。なんか時かけかな、みたいな、いやまあそこまで爽やかじゃないんだけど。「サン!」「マユ!」と名前を叫んで走るパートを何回か繰り返したあとに、徐々にその名前を読んでいたところが「ゆけ、もっと高く、もっと遠くへ」とって言葉に変わっていって。すごいキラキラ感。月の下を走っていく二人。あそこほんと好きです。でも、走ってる途中にマユも撃たれてしまうのだけど。「彼女」の死については、私は舞台の方がいいなと思っています。「ゆるしてくれるかなぁ」という言葉と、白い布の侵食と。やっぱり走るしか無くなってしまったサンと。

この後のサンは、靴を脱いで波打ち際で手を伸ばして「わたしは、生きることに、した」と言い切る。本当にとても素敵だった。舞台の一番最初に同じシーンをやっていて、それと比べるとまた切ないような気持ちになる。暗転してからも響いてた息をする音がまだ残ってる。救いはあるなあ、と思う。

この舞台で一番残ったセリフがサンの言う「偶然戦争だったから」という言葉。仕方ないよ、偶然戦争だったから。うん、たぶんそこ以外にあんまり女子高生だったころの私と差異はないのかもしれない。あの綺麗な守られた純粋な空間にいたときに、国が決めたことで、偶然戦争だったら私も「お国のために」あそこにいた可能性の方が高いんじゃないだろうか。劇場の外に出たら、2015年の池袋は平和で驚いた。もう七月だけど、まだ梅雨明け前の先週は彼女たちが感じた空気とあんまり変わらないはずだ。

 

追記

沖縄の取材を始めました。

備忘録→ http://uink.hatenablog.com

 

 

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2015.2.21

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監督三島有紀子
脚本林民生
2015.1/31〜
ヒューマントラストシネマ有楽町

秒ごとに綺麗な映画。出会いのシーンと結婚式のドアをあけるシーン、ウエディングドレスのシーンが特に綺麗。全年代に対応する映画。


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